原発のない社会をめざして 自然に対する傲慢を問う 山内 節

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自然に対する傲慢を問う 山内 節

さて、今年も微力ながら声を上げ続けていきましょう。新年最初の記事は…だいぶ古くなってしまいましたが、東京新聞に載っていた哲学者の山内節氏のとても良い意見です。以下は転載です。







【自然に対する傲慢を問う 山内 節】
東京新聞 2012年9月30日

原発問題はすっきりしない。先日出された政府の方針も、どうにでも解釈できるような決定だし、事故を起こした福島原発のこれからがどうなっていくのかも、明確にはわからないのだから、これではすっきりするはずもない。だがそれだけが私のすっきりしない理由なのかといえば、そうではない。

もしもこの日本列島に人間が住んでいなかったとしたら、ここは太陽の光と木陰と、森や川、沼沢地や海岸が広がり、生き物たちの自然な営みだけが展開する世界だったことだろう。そこに人が住み着き、次第に田畑を開き、家を建て、ついには都市を造り、工場やビルを建てながら今日の世界を生みだしていった。この過程を私たちはどうとらえていったらよいのか。

もちろん、それがいけなかったと言っているわけではない。それを否定されたら、人間は生きることはできないのだから。しかし、それが自然を簒奪していく行為であったことも、また否定できないのである。そして、自然の簒奪を当然のことのように考え、ためらいもなく肯定する精神が、傲慢な人間社会をつくりだした。原発事故が起きても、この現実を直視するのではなく、なおも原発を推進しようとする精神の傲慢さは、このことと通じているのではないだろうか。そして、だとするなら、われわれは自然を簒奪しながら展開してきた人間の歴史をどう考えたらよいのか。原発事故から一年半の時間の奥には、この重い問いがあるように、私には思えてならない。

それは環境問題の一番奥にある問いでもある。人間たちの歴史が、環境問題を起こしたことは間違いない。とすれば環境問題の一番重い問いも、自然を簒奪しながら展開してきた人間の歴史を、どうとらえたらよいのかというところにあるはずである。

おそらく今日の最大の問題点は、人間はこの重い問いをもちながら、生きていなければいけないということを、人間自身が忘れてしまったことにあるのだろう。

考えてみれば私たちは、自然から借りた土地の上で暮らしている。せめてこの意識だけでも残っていれば、貸してくれた自然への感謝の思いくらいは、もつことができたはずである。それを忘れて、自分たちの理論や技術だけしかみえてない人々が原発を推進した。

かつての日本の社会では「何々させていただいている」という言葉がよく用いられた。「どこどこにお店を出させていただいている」とか、「無事に暮らさせていただいている」とか。自分がしている、ではなく、いろいろな助けをいただきながら、させていただいているという気持ちが、どこかにあったのである。

この表現を使えば、私たちは自然に土地を貸してもらって、暮らさせていただいているのである。そういう意識がある間は、自分たちを支えてくれている自然や他者に対する感謝が、人々の気持ちのなかにあった。自然は大恩ある自然だった。

自然に支えられながら自然を簒奪する矛盾に満ちた人間のあり方を直視しながら、それでもなお自然とともに生きる社会をつくりだそうとする。いま必要なのはこの決意だろう。」それは自分たちの歴史を悲しみをもってみる「まなざし」とともにある、といってもよい。原発問題の奥にこのような課題があると、私には思えてならない。(立教大学大学院教授、哲学者)

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