原発のない社会をめざして 昔「満州」、いま「原発」「日本の生命線」なんてウソばかり 日本人よ、歴史に学ぼう 保阪正康×磯田道史

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昔「満州」、いま「原発」「日本の生命線」なんてウソばかり 日本人よ、歴史に学ぼう 保阪正康×磯田道史

【昔「満州」、いま「原発」「日本の生命線」なんてウソばかり 日本人よ、歴史に学ぼう 保阪正康×磯田道史】
現代ビジネス 2014年3月1日号

原発事故からまもなく3年。安倍政権は「原発を再稼働させなければ日本のエネルギー政策が立ちゆかない」と言いつのる。その言い方はかつて軍靴に紛れて聞こえたあのスローガンと似ていないか?

■「一点依存」は失敗する

保阪 都知事選で細川護熙さんと組んで反原発を掲げた小泉純一郎元首相ですが、今後も反原発活動をしていくと話していますね。僕は小泉さんと世代が同じだから感覚を共有する部分もあるし、一方、感覚的にわからない部分もある。そのわからない部分、つまり圧倒的な対米追従姿勢について、ある人がうまいことを言っていました。「彼は横須賀史観だから」と。小泉さんは地元・横須賀で米軍基地に寄港する空母ミッドウェイとかを見て育っている。小さい時からあの巨大な艦を見ていれば、アメリカに逆らったらかないっこないと思うだろうなと。

磯田 その小泉さんは、「戦前の日本は『満州は日本の生命線』と言ってたが満州がなくなったほうが日本は発展したじゃないか」と地元・横須賀の講演で語ったわけですよね。確かに歴史的にはそのとおりで、じつは日本は、古代の昔から同じような失敗をくりかえしています。

保阪 「満州は日本の生命線」というスローガンが公に出たのは、昭和6年1月、松岡洋右発言が発端で、以後、軍人をはじめ、皆がそれを使うようになります。松岡は、この約2年後に国際連盟を脱退した際の首席全権代表として知られていますが、彼は代議士に転身する前は満鉄(南満州鉄道)理事でした。では、なぜそんなに満州にこだわったかといえば、当時の日本は対外当初予算の7~8割を満州につぎ込んでいたからです。

磯田 ああ、既得権益ができあがっていたんですね。

保阪 そう。それは当時「特殊権益」と言われました。しかも、当時の満州は、農業生産の向上に絶対必要な、大豆や豆かす(農業肥料)の産地でもあった。日本はなんだかんだと満州に依存していたんですね。

磯田 日本人は、昔から「我が国は島国で資源がない」ということに常に不安を抱く民族です。同時に、必ず公の権力が「だから、その資源は私たちが確保してあげる」と前面に出てくる。で、民は公権力を信じる。

保阪 あの頃は、人口減少の今とは逆で人口が7000万人に迫り、日本の為政者は皆、早晩食糧が足りなくなると恐怖していた。そこで帝国主義世界の中で「満州への進出は歴史的必然だ」と思い込むんです。

磯田 「混みあいますから満州へ」が宣伝文句でした。日本の為政者が国として最初に大失敗した歴史的事例は、「白村江の戦い」(663年)でしょう。朝鮮半島にあった同盟国百済が滅亡すると、このままでは国がもたないと、大量の若者を船に乗せて送り出し大敗。このときは鉄材が輸入できなくなったら、日本(倭国)の農耕社会はおしまいだと思い込んだ。

保阪 資源枯渇の恐怖ですね。

磯田 しかし百済を失った日本はかえって技術を獲得し、砂鉄の大生産国になれた。島国ですから、資源確保は重要ですが、資源の入手手段を一つだと思い込んで入れ込み、こだわりすぎるのが問題なんです。

保阪 それは高度経済成長の時の石油交渉にも言えますね。昭和48年に第四次中東戦争が始まって、産油国から「親イスラエル国には石油を輸出しない」と言われると、慌てて副総理だった三木武夫が「決して親イスラエルじゃありません」とご説明に上がって石油を分けてもらった。そのときだって、石油交渉の相手として、それまで実績のあったアラブ諸国しか想定していない。実質的に「一点依存」でしたからね。

磯田 だから、オイルショックがおきるわけですよね。私は原発がいいかどうかよりは、不安にかられて「これが日本の生命線」とばかりにそれにこだわる心性が大変に問題だと言いたい。日本は狭い島国だから他国との協調と国内の生産力に自信がない。過去に日本が失敗した事例の多くは、病的なほど資源エネルギーの入手に執着し、枯渇の不安に駆られて下手な策に打って出て負けたものです。

■官僚はつじつまあわせをする

保阪 太平洋戦争で日本の存続を危うくしたやり方と同じで、皆で一丸となって一本道を進んでいく。高度成長期の「護送船団方式」だってそうでしたからね。国策が原発推進となれば、それに必要な人材、知識をたくわえて邁進し、そこに疑問を呈する人を抑圧してしまうんですよ。しかも「一点集中主義」が進んでいくと、その体制内で、官僚たちがつじつまをあわせ始める。いってみれば「願望の事実化」が起こるんです。太平洋戦争の開戦直前、首相の東条英機が「この戦争はいつ終わるのか、という文書を起案せよ」と軍部の官僚(軍務局)に命じました。そこで陸海軍の高級課員、石井秋穂と藤井茂が『戦争終末促進に関する腹案』という文書を起案するんですが、その内容が「ドイツがイギリスを抑えるので、イギリス国民が厭戦思想を持つ。日本が徹底的に中国を叩き、アメリカがいくら援助しても無理だと考え、米国内にも厭戦思想が広がる」とか、全部願望なんです。戦後、私が、この文書を起案した石井氏に本心を尋ねたところ、「我々も戦争が終わるとはどういう状態かわからなかったから、こう書くしかなかった」と言うんです。「まさかこれが最終的な国策になるとは思わなかった」と。

■願望と現実を区別せよ

磯田 また彼らが変なところだけ優秀だから、緻密な幻想計画を拵えてしまう。同じことが、豊臣秀吉の朝鮮出兵でも行われました。今、大河ドラマで放送されている『軍師官兵衛』の時代ですから、ドラマに描かれるかもしれません。文禄・慶長の役は、明国(中国)を征服する秀吉の願望で始まりました。秀吉の幕僚筆頭が石田三成で、彼が作戦計画を立てました。そのときに、毛利家の知将として名高い小早川隆景が諫めた話が残っています。三成はソウルからもっと先まで、朝鮮半島に日本の大軍をどう配置し、兵馬をどう進めるかの計画案を作り「どうです、この完璧な計画は」と小早川隆景に見せました。

保阪 兵站計画ですね。

磯田 そうです。ところが、これは昭和の軍人や国内の原発設置を推進した人たちにも当てはまると思いますが、そこには負ける想定がなく、負け戦になったときの撤退計画がなかった。実際に戦う人間にとっては、これは恐ろしいことです。それに驚いた隆景は〈負け戦のときの思案ありたし〉と申し出て、半ば無理矢理に三成に計画を作り直させたといいます。隆景や黒田官兵衛のような歴戦の智将は、本心では「この戦は負けるな」とだいたいわかっていたんでしょう。

保阪 どれぐらいの形勢になったら戦争を継続できなくなるかという目測力=撤退する力とは、ある意味、本能的なものですからね。軍人が官僚化した瞬間に、危機の目測力というものは、まったく失われるんですよ。官僚は知識階級の中で「勉強、勉強」で評価されて現場に来ているから、勘働きなんていうのはむしろどんどん阻害されていく。

磯田 そうした歴史の教訓を踏まえて、私たちは、ただの願望が事実化されていないか、計画が破綻して現実と乖離し、こちらが主導権を失った状態になっていないか、しっかり判断しなければいけない。事前の目算が大きく狂ってしまった時は、これまでの行きがかりにこだわって傷をひろげそうになっていないか、見極めが必要です。日本の原発計画は残念ながら事前の思惑からはずれてしまった。歴史の教訓からすると、こうなった以上、もう願望と現実を分別し、後世に恥じぬ処置をとるのが常識ですが……。今の政・官・業にその賢さはまだ残っていますかね。

保阪 さて、どうでしょうかね。いま私が危惧しているのは、様々な問題について政治家が国民に否か応かで判断を迫る傾向にあることなんです。二極化したスローガンばかりというのかな。原発がなければ電力がまかなえない、という主張も、それに似ているのではないかと思う。こんなことをいうのは忍びないですが、いまの一部の代議士のレベルはひどすぎますよ。歴史なんて全然学んでない。それと、歴史認識を完全に自分の情念の憂さ晴らしにしていますね。歴史上の出来事を教訓化するとか、得た知識を糧として、そこで自分だったらどういうふうに判断するかと鍛錬すべきなのに、簡単な気持ちの問題で割り切って歴史を見ている。

磯田 僕は安倍晋三さんの抱く愛国心というものは、近年の政治家にはないものがあり、一面では尊敬もしています。ですが、彼はある種独特な日本信仰を持った人間。こだわりが強すぎるタイプで、時折、とくに相手のある外交面では危うさを感じる。

保阪 あの人の愛国心というのは、「単色」というか。

磯田 単色でない愛国心というのは、偉大なる政治家には必須の資質です。第二次大戦時の英国のチャーチル首相とかは典型的な単色でない愛国心の持ち主でしょう。厚みのある文化教養を身につけていない人間が、権力の座を与えられると、単色の愛国心を持ちやすくなります。

保阪 軍人はその典型ですよ。戦前には単色の濃淡の差だけで、自分の考えとは違うと言って、殺し合いをしていたんですからね。

磯田 最近の政治的話題でいうと、多色すぎて絵が理解されなかった細川護熙さん、単色が心配される安倍さん。そういう感じがします。

保阪 都知事選の立候補者だった田母神俊雄氏なんかは、単色というよりもっと単純な色の単色ですよ。

磯田 愛国心は彩り多いものにしてほしい。この頃は文化教養をすっ飛ばして、なんだか金切り声でサッカー試合でも応援するような愛国心ばかりです。

保阪 そうですね。そして単色の愛国心が流行るときというのは、相手を罵るときに「売国奴」とかの言葉を使いがちなんですよ。

磯田 自分と意見の違う人を外国人になぞらえて蔑んでみたり。戦後日本の教育では「こんな日本が好き」が抜け落ちすぎていたのは確かですが、了見の狭い単色の愛国教育だけはけっして行ってはいけない。必ず妙なことになって日本の良さが失われるでしょう。

保阪 私達の先達である明治の日本人は、為政者でも軍人でも絶妙なバランス感覚を持って幕末の動乱と、日清・日露戦争を生き抜いたリアリストたちだったのにね。

■本当の「生命線」は国民の知力

磯田 伊藤博文や大久保利通、西園寺公望といった元老たちはしたたかでした。最初は尊皇攘夷を唱えながら、これはスローガンにすぎなかったからとあっさり軌道修正して明治維新を成し遂げた。

保阪 だけど、やっぱり日本人は、情念的には明治の元勲より、新撰組に襲撃されたときに、同志とともに闘って倒れた志士が好きなんですよね。日露戦争の講和後、バランス感覚を知らない民衆にあおられ、為政者も軍部も世代交代しているうちに、日本はどんどんおかしくなっていった。

磯田 現在、東アジア諸国は、国民国家の形成を始めてから60~70年しか経っていません。中国でも朝鮮半島でも民族主義は高まるばかりです。その現状を踏まえたうえで、日本人が戦前のような古い感覚に戻ってしまうのならば、中国や韓国と同レベルになってしまいます。識字率と生活レベルがようやく上がって、若者たちが他国を非難するのに躍起になっている国と同じことをしてはいけません。一度民族熱にうかされて失敗した経験のある「先進」日本のほうから彼らに何かを語りかけるべきです。

保阪 そうですよね。私たちの側は歴史への自省や非軍事の姿勢であることを世界に示す、いいチャンスなんですよ、本当は。

磯田 国力がついていたときに傲慢になって、かつて日本は道を誤り、大負けの戦争をやってしまった。内外の死者はとりかえしがつきません。中国や韓国に対して「同じ轍を踏むな」、「協調した方が双方得だ」と説得すべきだと思いますね。東アジアとの関係だけでなく、原発問題についてもそうです。原発事故は戦後の日本にとって本当に大不幸でしたが、私たちはこの歴史的事件から教訓を得ることができます。この島国の生命線とは、自分たち日本人の心・頭脳の中にある知力であり、想像力であり、努力・工夫の力で、それ以外にはない。特定の資源をさして「これが我が国の生命線だ」などと考え、その入手に過剰にこだわりだしたら、それこそ失敗するんだということは、一応の教養として知っておくべきと思います。

ほさか・まさやす/1939年生まれ。昭和史研究家、作家。『昭和史講座』刊行により2004年菊池寛賞受賞。『天皇 「君主」の父、「民主」の子』(講談社文庫)など著書多数

いそだ・みちふみ/1970年生まれ。歴史学者、静岡文化芸術大学准教授。『武士の家計簿』(新潮新書)、『歴史の読み解き方 江戸期日本の危機管理に学ぶ』(朝日新書)など著書多数


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