原発のない社会をめざして 大飯原発判決、タカをくくる政府・電力会社の古い体質

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大飯原発判決、タカをくくる政府・電力会社の古い体質

nikkei BPnetに掲載された“田原総一朗の政財界「ここだけの話」 ”より転載いたします。以下…







【大飯原発判決、タカをくくる政府・電力会社の古い体質】
nikkei BPnet 2014年6月6日

福井県の住民らが関西電力に運転差し止めを求めた訴訟で、福井地裁は5月21日、大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を認めない判決を言い渡した。東京電力福島第一原発の事故後、原発の差し止めを認める判決が出されたのはこれが初めてである。 この判決について、原告側および脱原発派は画期的な判決であると絶賛している。

■人格権を最重視した判決

判決の要旨文を読むと、憲法13条、25条が規定する人格権を非常に大事にしており、冒頭で「生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である」と述べている。

原子力発電所について「電気の生産という社会的には重要な機能を営むもの」とその必要性を認めているが、「原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである」としている。

原発に求められる安全性については、「危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である」としている。

 「具体的危険性が万が一でもあれば」とは、ゼロリスクでなければならないということである。100%安全でなければ認めないというのに等しい。

■「豊かな国土に国民が生活することが国富」

判決文の最後でコストの問題にも触れている。「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」と述べている。

この判決について、画期的と報じたのが朝日新聞、毎日新聞、東京新聞。「疑問の多い判決」として、やや批判的なのが日本経済新聞。そして、読売新聞は「あまりに不合理な判決」、産経新聞は「非科学的、非現実的判決」とそれぞれ強く批判した。

 批判の一つは、広範囲に被害をもたらす危険性が万が一にもあるとすれば、差し止めは当然であるという判断について、だ。これに基づくと、大飯原発3、4号機だけでなく日本の原発すべてがダメになり、世界の全原発がこれに引っかかることになってしまう。

原発をはじめ科学技術の発達による現代文明というものは、多少なりともリスクがつきまとう。そのリスクをいかに最小に抑えるか、また事故が起きた場合に被害をいかに拡大させないか、ということを常に懸命に考えている。

■再び「安全神話」を生み出しかねない

ところが、再稼働の差し止めが当然となれば、原発推進派は再び「安全神話」を振りまかざるを得なくなる。福島第一原発では、地元住民を説得するために安全神話を振りまいた。「絶対に事故は起きない」という安全神話を守るために、避難訓練さえも行われなかった。

私は東電に「なぜ避難訓練を行わなかったのか。行わなかったから住民が混乱し、事態が深刻になったのではないか」と問うたとき、東電は「避難訓練を行うということは、つまり事故の危険性があると認めることになる。そうなると、地元住民は原発の運転を認めない。住民を説得するためには、安全神話を振りまかざるを得なかった」と答えた。

実は東電自体も安全神話に浸っていた。福島第一原発にいた所員たちはシビアアクシデント(想定を超える過酷事故)への備えがなく、慌てふためいた。朝日新聞5月20付によると、2011年3月15日朝、福島第一原発所長の吉田昌郎氏の待機命令に違反し、福島第一原発にいた9割にあたる所員約650人が10キロ離れた福島第二原発へ撤退していたという。

事故後3年以上も伏せられていたこの事実は、過酷事故時にどのような体制でどう対処するかが定められていなかったことを示している。東電自体も安全神話のワナに陥っていたのである。

■なぜ原発推進派は静観しているのか

今回の判決は、新たな誤解を生み、まさに安全神話を生み出しかねないような内容になっているのではないかと懸念する。

また、人格権を持ち出すのはよいが、原発は「電気を生み出すための一手段」であり、「人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきもの」という言い方はいかがなものか。原発の運転停止で電力が不足した結果、停電が起これば人命にかかわる問題なのだから、「劣位に置かれるべきもの」という表現はおかしいとの批判もある。

さらに「高度な科学技術に対する裁判所の判断として不適切」といった問題も指摘されている。

私は福井地裁の判決は厳しすぎる内容だと受け止めている。それにもかかわらず、政府・自民党や電力会社は、この判決にあまり慌てる様子がない。判決言い渡しの法廷には、被告である関電は弁護士を含め誰も出席していなかったという。

なぜ原発推進派は静観しているのか。実は2006年、北陸電力の志賀原子力発電所2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた判決を、金沢地裁が出している。その後、2009年に名古屋高裁金沢支部はこの第一審判決を取り消し、運転差し止め請求を棄却した。そして2010年、最高裁は住民側の上告を棄却している。

■原子力行政の体質は古いままだ

おそらく政府・自民党や電力会社などの原発推進派は、今回の福井地裁の判決も志賀原発2号機訴訟と同様、高裁でひっくり返るだろうとタカをくくっているのではないか。 私はこのタカをくくっているように見える姿勢を強く懸念する。

判決に対して政府・自民党や電力会社はまともに対応する姿勢を見せない。真剣に向き合うべきなのに、まともに議論しようとしない。これは今までと変わらない原子力行政の体質を引きずっていることの表れで、悪い習慣だ。オープンな原子力行政を目指すべきではないか。 そして、どのメディアもその古い体質について指摘していないのも大きな問題である。

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