原発のない社会をめざして 唖然とする指導者の姿・・・御嶽山、もんじゅ、そして原発

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唖然とする指導者の姿・・・御嶽山、もんじゅ、そして原発

【唖然とする指導者の姿・・・御嶽山、もんじゅ、そして原発】
武田邦彦ブログ 2014年10月12日

「50歳以上の男性の不誠実」はどこまで続くのだろうか? これには深い原因があるので、それはまた別の機会にゆっくり整理をすることにして、まずは事実を一つ一つ考えていきたい。

御嶽山の噴火で犠牲になった人は無念だろう。なにしろ御嶽山の山頂で地震を測定していたはずの地元自治体の地震計は故障していて、11月頃、名古屋大学から新しい地震計が運ばれる予定だった。

つまり、御嶽山の噴火が予知できなかった大きな理由の一つは、「地震計が壊れていた」ということと思う。これに対して気象庁側は「頂上の地震計などいらない」と言い訳をしているが、それなら最初からいらないし、科学の常識から考えても「遠くにある地震計」より、「できるだけ近くに多くの観測点があったほうが良い」のは当然でもある。

地震計が壊れていたことがバレると、「もともといらない」と言いながら、実は急いで設置しようとしていたのだから、本当に不誠実だ。また、噴火の危険性を示すレベル1は「安全に登山できます」とされているのに、事故が起こると「火山はいつでも噴火する。そのぐらいはわかっているはずだ」と開き直る。

もともと御嶽山は学校の遠足でも行くところで、8号目までロープウェーが行っている。何を見ても、今まで噴火予知委員会は「御嶽山で50人もの犠牲者がでるような噴火はない」と判断していたに決まっている。

お弁当を作って食中毒を出しても、航空機を飛ばして墜落しても、「わからなかった」ではすまない。判らなければお弁当を売ってはいけないし、墜落するかどうかわからない航空機に人を乗せてはいけない。食中毒や墜落で人が死んだら、「食品だから食中毒が起こることぐらいわかっているだろう。臭かったら食べるな。」と言ったり、「人間が空を飛ぶのだから危険は承知だろう」などということはできない。

ところで、今日の新聞に「もんじゅ(原発)で監視カメラが180台ついているのにそのうち、約3分の1が故障したまま放置されていたことがわかった」と記事にある。どうせ監視カメラは国の税金だし、危険でも安全と言えば良い(もんじゅは二度の事故を起こしているが、決して「事故」とは呼んでいない)と思っている。私たちは信じられないが本当にそう思っている。そうでなければ安全を保つのに必要だから購入して設置してあるカメラを故障したまま放置することはない。

ひどいものだ。でも、それは私たち国民はすでにわかっている。東京の電気の3分の1が新潟と福島という300キロも離れたところに原発をおいて送電していた。いま、経済界のトップである経団連は原発を再開するのに賛成である。そこで質問をしてみたい。

武田「会長さん、原発は安全ですか?」
会長「そりゃ、安全だよ」
武田「送電ロスがかなりあるのですが、なぜ東京に作らないのですか?」
会長「そりゃ、危険だからだ」


だれでも驚く会話だ。でも、今度の御嶽山の噴火のあとの噴火予知会長の会話とまるでそっくりだ。

記者「レベル1は安全に登山できるのですか?」
会長「そりゃ、安全だよ。レベル1の説明を見ただろう。君は」
記者「でもレベル1で50人以上も犠牲になりましたが」
会長「そりゃ、君。大人なら火山が危険だぐらい知っているだろう」
記者「火山が危険なら、なぜレベル1が安全なんですか?」
会長「俺たちはその場その場なんだ。そんなことも分かっていないのか」

ということだ。経団連の会長が「原発は安全で、危険だ」といい、噴火予知会長が「御嶽山は安全だが、火山だから危険だ」と平然というのとまったく同じ感覚である。

これを「両価性」という。同時に二つの矛盾したことをいっても本人は気がつかない。自分の名誉、お金、利権、権威などに惑わされた一種の精神病である。でもこのような人が日本を指導しているし、それを私たち自身が厳しく追及もせず、そのまま認めているのだから、かわいそうに11歳の子供も含めてぎせいになった。大人の責任だろう。

今でも原発を再開するのに賛成している人が多いぐらいだから。

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彼岸花さんへ

彼岸花さん、こんばんわ。

>なんだか、火山や原発の危険性について、たかをくくっているようにしか思えない。川内原発の再稼働への流れも結論ありきという感じですね。

まさに、まさに。極めて楽観的かつ近視眼的で、目の前のカネの事にしか興味がない。
自分が退職なり何なりしてしまえば、後は何があっても自分の責任ではない、関係ない。
もう、下品の極地の世界ですよね!

吉田所長についても、私は彼岸花さんとまったく同じ意見です。
確かに、死者に鞭打つのは躊躇われますけど、やっぱりよくよく考えてみれば、彼らのような原発推進論者達が「原発は安全だ!何があっても爆発などはありえない!」などと言い続けた結果…あのような取り返しのつかないような過酷事故に繋がってしまったわけで、少なくとも吉田所長のことも「英雄」扱いしたりするのはおかしいと思います。

しかし、百歩譲って…事故前に安全神話を信じていたというのは、まだ少し同情の余地があるのですが、ここに至ってまだ図々しく「原発再稼働」などを口にする連中というのは、一体どういう精神構造をしているのかな?と疑うのです。
結局、あの事故から何も学ばなかったのか? 多少の後ろめたさはあっても、カネや権力の魔力には勝てないのか?いずれにしてもちょっと信じられないですよね!

武田教授は、とても良い記事を書いてくださいました。
いつもありがとうございます。合掌

No title

こんばんは。
この武田邦彦さんのご指摘。まったくそのとおりですね。
私も、地震計が壊れていた、と聞いたときにはあきれてしまいました。
なんでそれをほうっておくのか。
もんじゅもそうですね。これまた驚きです。

なんだか、火山や原発の危険性について、たかをくくっているようにしか
思えない。
川内原発の再稼働への流れも結論ありきという感じですね。
『もしも』ということを、責任ある立場の人々が誰も言い出さないし、
『もしも』などという仮定をしてものを言うと、『君ねえ。そんな、
何万年に一度来るかどうかわからない大噴火なんか想定して、
今というものを犠牲にすることは出来ないんだよ』とでも
言われてしまいそうだ。
でも、その人は責任なんか取らないんですよね。

福島第一の吉田所長。死者に鞭打つのは躊躇われますが、
あの方は、福島第一の所長になる半年前までは、東電で、2007年から、
本店の原子力技術・品質安全部を改組して新たに設置された
原子力設備管理部の部長についていたんですよね。
2008年には、東京電力社内で、福島第一原子力発電所に
想定を大きく超える津波が来る可能性を示す評価結果が得られた際、
吉田が部長を務める原子力設備管理部は
「そのような津波が来るはずはない」と主張。上層部も了承したため
建屋や重要機器への浸水を防ぐ対策が講じられなかったそうです。

そのことについて問われた時、政府事故調の調査で、吉田さんは
『M9クラスの地震を予測できた地震学者や津波学者がいないのに、
それを言ったら結果論になると言っている。想定できないものに
対策が立てられる訳無い。誰も予測できてないでしょう、
無礼千万な話だ(吉田調書)』と言っていたようですが、あの過酷事故を
起こしたいわばもっとも核心にいる責任者の言としては、ちょっと無責任な
感じは否めませんね。
あの、崩壊した建屋群と、家や暮らしを失くしてしまった避難民を前に、
無礼だなんて、言ってられるのだろうか。

事故処理の必死に感謝するのと同時に、吉田所長の罪というものも
私は考えたいです。菅さんを『あのおやじ』などという言葉で、呼べる
立場かな。まあ、表に出ない、と思ってしゃべっていたのでしょうが、
菅総理はその時の一国の責任者なんだから、現場や東電に
乗りこんできても当然だと私はあの事故当時思っていましたけれども。
それほどの非常事態だったことは、吉田所長がいちばん知っている
はずだけれど。

尤も、吉田所長だけの罪ではないですね。
原子力安全・保安院や、斑目氏や武黒フェローの責任ももっと
追及していい思います。

そもそも東電は、国会事故調のまとめによると、

『東電では、「原子力部門のリスク=原子炉が長期間に渡って停止するリスク」
と定義されており、「自然災害」は、シビアアクシデントの起因事象ではなく、
規制化やプラント停止のリスク要因として捉えられている。』

とあります。『自然災害は、規制化やプラント停止のリスク要因として捉えられて
いる』…つまり、『大きな自然災害が起こって原発がメルトダウンなどして、シビアアクシデントになってしまったら大変だ!住民や国土に大変な犠牲を強いることになる』と考えるのでなく、『大きな自然災害が起こると、また反原発派がうるさく騒いで、規制が厳しくなったりすると厄介だな、まして、それで安全確認のためプラント停止などすることになったら、社にとってたいへんな損害だ』…という感覚でいた、ということではないでしょうか。

だから、吉田所長含め、最悪のことは想定したくない。大きな地震は想像したくなかったということじゃないでしょうか。
『原発は安全だ、安全だ』と皆さんに言ってるのに、大津波の想定などして防波堤をもっと高くする工事をしたり、非常用電源その他重要設備を高いところに移したりする工事をしたら、「そら見ろ、原発の安全性はまだ充分じゃなかったじゃないか!」と、反原発派に足元を掬われる』
というようなことを、今となっては誰だったか覚えていないのですが、言っていたことを思い出します。
残念ながら、そういう意味では、反原発運動が激しい時代があった、ということの記憶が、『彼等の言うのはもっともだ。充分にもっと安全対策しよう』というまともな方向に考えが動いて行くのではなく、逆に、『反原発運動の連中がうるさいから、細かいミスや不具合はいちいち報告しなくていいよ。なにも起こらないだろう…』という心理の方へ動いて行ってしまった、というのも否めませんね。

もんじゅなどの数々のトラブル隠し、の心理も、そういうものだったのだろうと思っています。
でも、それは科学者の態度ではないですよね。

『何も起こらないだろう』という心理は、実は、私たちのうちにもあるということがこわいです……。
面倒は避けたい、という心理。

それを考えると、この記事。実はとっても怖いですね。
いつもありがとうございます。



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