原発のない社会をめざして 村上春樹さんが「それは違う!」巷で大論争に 「原発より交通事故のほうが危険」を考える

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村上春樹さんが「それは違う!」巷で大論争に 「原発より交通事故のほうが危険」を考える

【村上春樹さんが「それは違う!」巷で大論争に 「原発より交通事故のほうが危険」を考える】
「週刊現代」2015年5月2日号より

「年間5000人近くの人が亡くなっている交通事故のほうが、原発より危険性でいえばよっぽど大きいと思います」—。

これは、作家の村上春樹氏がインターネット上で読者の質問に答える、期間限定サイト「村上さんのところ」に寄せられたある読者(38歳・男性)からの投稿である。

これに対して村上氏は次のように答えた。

〈福島の原発(核発電所)の事故によって、故郷の地を立ち退かなくてはならなかった人々の数はおおよそ15万人です。桁が違います。もしあなたのご家族が突然の政府の通達で「明日から家を捨ててよそに移ってください」と言われたらどうしますか?そのことを少し考えてみてください。

原発を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題なのです。基本的に単発性の交通事故とは少し話が違います。そして福島の悲劇は、核発の再稼働を止めなければ、またどこかで起こりかねない構造的な状況なのです〉(原文より抜粋、以下〈 〉内は同)


この村上氏の見解をめぐり、巷では大論争が起きている。「被災者じゃない人は、原発の危険性を甘くみている」、「いやいや、2時間に一人が交通事故で亡くなっているんだから、確率的には原発より危険でしょ」など、賛否両論なのだ。

この論争は4年前の「3・11」以来続く、日本人が抱えた「永遠のテーマ」とも言うべき問題だ。福島第一原発の事故を見て、それでも「日本には原発は必要だ」と、リスクを承知で原発を使い続けるか。それとも、「二度と悲劇を起こさない」ために原発とは決別するのか。この問題から目を逸らして済む日本人は誰もいない。

まず村上氏に対して異論を唱えるのは、経済学者の池田信夫氏だ。

「村上さんは比較の対象を間違えています。死者の数と避難者の数を比べても仕方がない。1960年以降、交通事故で亡くなった人は累計50万人以上いますが、原発事故による死者は一人も出ていないんですから」

さらに名古屋大学客員教授の水谷研治氏も「原発を廃止するのは現実的ではない」と主張する。

「原発や自動車に限らず、絶対に安全なモノはありません。どんなモノにもプラス面とマイナス面があります。それを少しでもマイナス面があるからといって、経済効率を無視してまで止めるのはおかしいと思うんです」

その一方、村上氏の考えに同意する声も上がっている。

「私は地震の多い日本で原発の再稼働はするべきでないと考えています。外国人の多くはそう思っていますよ。原発による直接の死者はいないと言いますが、汚染水やがんの誘発、避難先での自死など、村上さんのおっしゃるように、原発による影響は非常に大きい」(放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏)

「原発も自動車も問題はあるが恩恵も与えている。ある意味では『必要悪』なんです。ただ今後、交通事故死が1000万人になることはなくても、原発事故ではありうる。福島のように一旦、原発事故が現実に起きれば、人間が制御できない事態になってしまう。それを忘れてはいけません」(経済評論家の森永卓郎氏)

■「その後」の世界を想像して

確かに、死亡者数で比べることは表面的には合理的で、大人の意見に思えるかもしれない。しかし、交通事故で家族や親友を失うことも、原発事故により避難を強いられ、ストレスや病気で亡くなることも同じ「悲劇」であることに変わりはない。

それを量的な問題、つまり「死亡者の数」で比較し、どちらが危険かを決めようとすること自体がおかしいと、村上氏は主張する。

〈効率っていったい何でしょう?15万人の人生を踏みつけ、ないがしろにする効率に、どのような意味があるのでしょうか。「年間の交通事故死者5000人に比べれば、福島の事故なんてたいしたことないじゃないか」というのは政府や電力会社の息のかかった「御用学者」あるいは「御用文化人」の愛用する常套句です。比べるべきではないものを比べる数字のトリックであり、論理のすり替えです〉

村上氏の言う、この部分に賛同するのは、東京工業大学原子炉工学研究所助教の澤田哲生氏だ。

「数字では表せない、目には見えないものにこそ本質がある。村上さんは、死亡者の数にとらわれるのではなく、原発事故の先にある未来に対して、想像力を持って行動していますかと、私たちに投げかけているんじゃないでしょうか」

立命館大学名誉教授の安斎育郎氏は「原発の最大の問題は、後世にわたって悪影響を及ぼすことにある」と語る。

「交通事故を起こしたとしても、それが何百年、子々孫々にまで影響を及ぼすことは考えにくいが、原発事故の場合は違います。『負の遺産』を将来世代に負わせることになる。原発を再稼働するか否かの決定には、『時を超えた民主主義』の問題も内包しているのです」

原発事故が起こった後の未来、それは国土が失われ、住む場所を奪われる世界のことである。

原発に関するドキュメンタリー映画を撮ってきた鎌仲ひとみ監督は言う。

「汚染された地域はゴーストタウン化し、300年以上も人が住めなくなってしまう。私は原発事故後の福島やチェルノブイリを歩いてきましたが、実際にその惨状を目にしたとき、交通事故より原発のほうが安全だとは決して思えませんでした。ある日突然、家族がバラバラになり、人生が破壊される。それが原発の恐ろしさなんです」

次の世代のことを、どれだけ考えて行動できるか。いかに想像力を持ってこの問題に取り組めるかが国民に求められている。

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彼岸花さんへ

彼岸花さん、こんにちわ。

『福島の原発事故で死んだ人はいない』
『原発をこのまま動かさないと言うことは、じゃあ君は、日本人の暮らしが江戸時代の不自由なレベルに戻ってもいいというんだね』
「自動車や飛行機は原発より危険なことは数字から明白だ。原発が危険だから日本にはいらないという君は、じゃあ、自動車にも飛行機にも乗らないんだね!」

本当に、昔からうんざりするほど聞かされていた原発推進派の陳腐なプロパガンダですよね。いまだにこういう意見を信じて「原発再稼働も仕方ない」などと思っている人がいるのですから、やはり日本の民度はあまり高いとはいえないですね(苦笑)。

>日本の小説家で、3.11を経験してもなお、原発事故に対し意識の高いひとは、比率から言っても本当に少ないと私は感じています…

確かに。まあ、何かを言ったとたんに、アホな評論家やネトウヨの皆さん方が騒いだりして、場合によっては身の危険すら感じることもあるのでしょうから、無理からぬこととも思えないではないですが、やはりもう少し頑張ってもらいたいところですよね。

そのような中で村上春樹さんは(彼の作品は…実は一度も読んだことがないのですが)「カタルーニャ賞」の授賞式での原発に関するスピーチとか、確か…毎日新聞のインタビューで、戦争責任についても語っていたと思うのですが、いろいろと問題提起をしてくれて有難いと思います。
緑の党についても、そんな発言をされていたのですね?それは全然知りませんでした。なるほど、またこちらでも調べてみますね。

>海空居士さんの記事を書き続ける強い意志には本当に頭が下がります…

いやはや(苦笑)。私のモチベーションも随分低下していると思います。最近は数日に一度ちょろっとネットをチェックして、更新の既成事実を作ることで「アクションをおこした!」という自分への言い訳をしているだけで、倫理観などという立派なものではなく…まったくお恥ずかしい限りです。
少し前の報道ステーションで、古賀さんが紹介したガンジーの言葉に
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。 そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」
というのがありましたが、このぐらいの気概で日々の行動をおこせるようになりたいとは思っているのですが、私も実は超「へたれ」なんです~(笑)

いつもありがとうございます。合掌

No title

こんばんは。無沙汰しています…

この、『村上さんのところ』というサイト、とりわけこの記事、
私も興味深く読みました。確か4月いっぱいまでだったとかいうことでしたね。

この38歳の男性の問いは、まったく、従来の原発推進プロパガンダの
受け売りから、一歩も出ていませんね。
もう20年30年近く前から言い古された、カビ臭い常套句をそのまま
受け売りしているにすぎない。
こういう言い方をする人の多くは、おそらく原発のことはこれっぽっちも
知らないんじゃないかな。
『福島の原発事故で死んだ人はいない』などというのは、あの勝間女史なども
原発の討論番組でそのままのことを言っていて、その時は他の出席者は
賛成派反対派に関わらず、一応原発のことはよく知っている人々だったので、
苦笑をもって受け流されていたように記憶しています…

この手のでたらめな常套句が、どうして世の中には真実の言葉のように
通用していくのか不思議でなりません。
『原発をこのまま動かさないと言うことは、じゃあ君は、日本人の暮らしが
江戸時代の不自由なレベルに戻ってもいいというんだね』
などという常套句もそうですね。江戸時代はいくらなんでも極端だろうとさすがに考えたか、「『ALWAYS 三丁目の夕日』の頃の貧しさに」という言い方も
ありますが(笑)。
「自動車や飛行機は原発より危険なことは数字から明白だ。原発が危険だから
日本にはいらないという君は、じゃあ、自動車にも飛行機にも乗らないんだね!」
などという常套句の決めつけも、腐るほど使い古されてきたいい方です。

こういう虚しい議論が、まだ福島第一原発事故を経験してなお通用しているのかと思うと、がく~っとしてしまいますね。

村上春樹さんは、実は私は政治的には生ぬるいひとだなあと、あまり
これまで感心していなかったのです。原発のことも。
村上さんに限らず、日本の小説家で、3.11を経験してもなお、原発事故に対し
意識の高いひとは、比率から言っても本当に少ないと私は感じています…
署名などに名は貸しても、文筆で原発の危険を追求する姿勢を見せる人は
本当に本当に少ないです。
村上さんもその一人だとなんとなく感じていました。
…その自分の誤解に気付いたのは、この3月ごろでしたか、村上さんが
あるとき、「日本の反原発運動にとって致命的な弱点は、日本に『緑の党』が
存在しないことだ」と語るか書くかしてらっしゃった、ということを間接的にですが知った時でした。
そっか!村上さんはそういう認識をしてらしたのか、と思った。
まさにそこだと、私も思うんですね。そこが脱原発にしっかり舵がきれたドイツとの大きな違いだと。
『緑の党』まがいのものは3.11後、出来たことはできたのです。
でも、奈何せん人材に欠けていた…
宗教学者の中沢真一さんなどが、『緑の党のようなもの』を提唱しようとする
動きも事故直後はありました…
でも、それも、いつのまにか、形にならぬまま消えてしまったようです。
『緑の党』を、単なる環境保護団体に毛の生えたようなもの、と捉える考えかたがそもそも間違っていると私は思っています。
ドイツが脱原発をする以前の段階として、ドイツは日本より一足先に、日本より
はるかに厳しいゴミ分別…リデュース・リサイクル・リユースのいわゆる3Rの
徹底という経験がありました…
これも単なるゴミ削減、ではありません。
さらにその前に、ドイツには第二次世界大戦におけるナチズムの行為に対する
厳しい厳しい自己反省の歴史という実績がありました…

これらは皆、死者の数などとか経済効果とか言う、単なる数字上のことを
考えて国民が政治と共に決定してきた上っ面の選択ではないんですね。
深い深い倫理上の反省の上に立ち、例えば敗戦時のドイツ壊滅から
再び世界の一員として認められるに至る過程には、カール・ヤスパースなど
当代きっての哲学者たちの知恵も全部投入して、哲学的倫理的に、
国は今後こうあるべき、自分たちはこう生きるべき、という選択をしてきた…
その長い長い基盤があったのだと思います。
憲法改正についての考えかたも、ドイツは日本などの硬性憲法と違い、
その改正につき通常の立法手続で改憲が容易な軟性憲法に近いと
言われていますね。
これに関してもまた、日本の改憲派の常套句に、『なにかというと君は、ドイツはドイツは、とドイツを持ち上げるが、あのドイツはなんと戦後50数回も憲法をいじっているのだからね』というのがあります!(笑)

しかし、それをもって日本も憲法改正をもっと気軽にやるべきだ、ということの論拠にしようとする人は、ドイツのその『ドイツ連邦共和国基本法』には、どんなことがあっても変えてはならない誰によっても侵されてはならない永久条項が存在し、その前文の『基本権』の箇所に、『基本権破壊ないし否定につながるような改憲の禁止』ということははっきりと謳ってあり、それを侵す者へは『民主主義、自由を乱すものへの基本権の喪失』という厳しい処分まで明記してあるのだ、
すなわちドイツ憲法はその根本理念のところは何人によっても侵されないように厳しく謳ってあるのだ、ということは知らないか、知っていても触れようとしません(苦笑)
要するに、改憲論者にとって都合のいいところのつまみ食いなのですね。

村上春樹さんの、「日本には『緑の党』がないのが致命的」という言葉の後には、
こういう深い歴史の直視の視点があるように思いました。
さすが村上さん!と今度は持ちあげる軽薄な私。苦笑。

原発事故の死者と、自動車や飛行機事故の死者の数を単純に比べる論や
その数字の多少をもって原発の有効性の根拠にしようとする論旨には、根本的な倫理観が欠けているように思います。
自動車事故飛行機事故と、原発事故は、そもそも比べられる性質のものでは
ないと思います。
無論、自動車事故飛行機事故が悲劇でないと言っているのでは毛頭ない。
しかし、原発一旦苛酷事故を起こしたら、その汚染は地球規模のものとなり、
しかもその影響は何十年何百年…何万年と続く。
その責任は誰も…決して負い得ない。
人間には同時代の地球生物に対して負うだけでなく、未来の人々や地球に対しても負う責任というものが存在するのだ、という深いところから原発の是非は論じなければいけない問題だと思っています。

海空居士さんの記事を書き続ける強い意志には本当に頭が下がります…

それも、同じことですね。
以前どこかで書いていらっしゃいましたが、自分はこの大地とそこに生きる生命を守るためにやれるだけのことをやり尽くした、と最後に言えるようにとにかく書き続けるのだ、というのが…それがその倫理観だと思うのです。
ひとりひとりが海空居士さんのようであったら…
そうありたい…
私なども、自分の『へたれ』ぶりを恥ずかしく情けなく思いつつ
あらためてその想いを強くします~~~…。

いつもほんとうにありがとうございます!




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