原発のない社会をめざして 東京電力、知られざる「福島原発」への道②

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東京電力、知られざる「福島原発」への道②

前回の続きです。







原子力の扉が着実に開きつつあるなかで、他社に先駆けて原発の研究を始めたのは東京電力だった。

55年11月1日、「原子力発電課」を発足させる。それまで信濃川水系の水力発電建設や猪苗代電力所など山の中に入っていた精鋭が集められ、主任は後に副社長になる豊田正敏だった。女性スタッフも入れてわずか5人でのスタート。だが、原発といったところで、誰も専門知識があるわけではない。机の上にうず高く積まれた英語で書かれた文献の青焼きや膨大な資料を分担し、辞書を片手にまず読むことが仕事だった。「格納容器」の言葉もこのとき“コンテナ”を訳出したものだ。

こうして技術力や知識を蓄えながら、東京電力は原発建設の立地の検討に入る。「東京電力三十年史」によれば、人口密度や立ち退き家屋数、設計震度を考えると東京湾沿岸や神奈川県、房総地区は無理で、結果、〈特段の産業もなく、農業主導型で人口減少の続く過疎化地区〉の双葉郡、〈地域振興の見地から工業立地の構想を熱心に模索〉していた大熊町が選ばれることになった。

両方にまたがるこの土地は、旧陸軍の特攻訓練基地があったところで、戦後は西武グループが塩田開発をおこなってきた。68年9月、最終的に約310万平方メートルの用地買収を終えた。東京ドーム66個分の広さである。67年1月に1号機の本格的な工事が始まり、71年3月26日、1号機の営業運転を開始した。

〈海岸線は、標高約35メートルの切り立った丘陵地で、太平洋の波浪が四六時中断崖を洗っており、この強力な破壊力に逆らって、直接外海に向かって防波堤を突き出した港湾を作り、冷却水の取水と重量物の荷揚げに備える構想は、当時、発電所建設としては世界に例を見ないものであった〉(三十年史)と東京電力は自賛するが、今となってはむなしく響く。

だが、なぜ東京電力の供給区域外である福島だったのか。「東電帝国、その失敗の本質」(文春新書)の著者で長年朝日新聞の経済部記者として東京電力を見つづけてきた志村嘉一郎氏は、同社で「天皇」と呼ばれた4代目社長の木川田一隆の名を挙げる。
「木川田は福島の出身で、政治家の面倒もよく見ていた。福島の原発を進めた木村守江知事とは仲がよく頻繁に会っていた。また、師匠で9電力体制を築いた“電力の鬼”松永安佐ヱ門が『電力会社は電気を供給する区域外にも電源を持つことができる』という特例をGHQに認めさせたことを知っていた。だから福島だったんだ」

福島原発はその後第1原発の6基に続き、第2原発4基までの規模になった。そして東電は5兆円という国内14位の売上高(10年3月期)を誇る企業にまで拡大した。しかし、日本航空やサンヨーなどのように、「企業は60年で使命を終える」という志村氏は、東京電力にもその暗い影を見る。

「東電が変質しはじめたのは、8代目社長の荒木浩のときからです。徹底したコストダウンのために安全に対する考えがなおざりになった。東電はもともと総務畑や企画畑がエリートコースで、そのためいくら東大出身でも他の部署では偉くなれない。士気が低下し、原子力ムラや営業ムラなどのムラが乱立、官僚化だけが進んだんです」

そして今年3月11日、福島第1原発は地震と津波に見舞われ、それまで盤石に見えた「安全神話」が崩壊した。
志村氏が断言する。
「東京電力崩壊の始まりです」

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