原発のない社会をめざして 一切の絆から離れる必要性

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一切の絆から離れる必要性

東京新聞の中のコラムで…哲学者の梅原猛氏が、利権の絆で結ばれた「原子力ムラ」の体質を批判していました。
このブログでも再三取り上げていますが、原発を擁護する学者が東電から寄付をうけていたり、再稼働を進める知事のファミリー企業が「原発」の仕事を受注していたり…
いいかげんに、このような悪い「絆」は断ち切っていかなければならないと…私も強く思います。
以下は…東京新聞より転載します。







【一切の絆から離れる必要性】
梅原猛氏4/9東京新聞夕刊より

【二種の絆】

最近「絆」という言葉がしばしば肯定的に語られている。未曽有の災害というべき東日本大震災に際して、確かに多くの人々が家族ばかりか地域の人々を思いやって行動した。

人を助けるために自らの尊い命を犠牲にした人は5人や10人ではない。この大震災に会って日本人が甚だ道徳的であった事は海外の根ディアでも称賛された。また、被災地の人々が大震災後、力強く立ち上がる力となったのも人間の絆であった。このように考えると、「絆」が高らかに礼讃されるのももっともなことである。

しかし絆というものはいかなる場合もよいものであろうか。

人間社会をゲンマンシャフト(共同社会)とゲゼルシャフト(利益社会)に分類した。共同社会は血縁、地縁によって結合される社会で、人間の本質意思によって成立するが、利益社会は解すああるいは体と市の社会で、人間の選択意思によって形成されたものであり、人々を結びつけるのは金銭的な利害関係である。

テンニエスは人間社会は共同社会から利益社会へ発展すると考えた。中世社会は共同社会の、近代社会は利益社会の性格が強いというのであろう。とすれば、日本のような近代国家においては共同社会の絆より利益社会の絆が強いといわねばならない。

東日本大震災にあたって人々を驚かせたのは、この辺境といってよい東北の地に共同社会の美徳が残っていた事である。私は30年ほど前に書いた著書「日本の深層」で、東北の地には日本の基礎文化である縄文文化が多分に残っていると論じたが、その認識は間違いではなかった。

しかし大震災によって、わたしはまた利益社会の絆の強さも感じざるを得なかった。たとえば、東京電力という国家に手厚く守られた会社の絆である。

内閣府原子力安全・保安院の人々をはじめとする多くの学者や官僚との間に非常に強力な絆が気付かれていたように思われる。福島の原発事故について正当な発言をしてくれると思われた友人の学者がメディアで、むしろ東京電力を擁護するような発言をした。不思議に思っていたところ、その学者をはじめ多くの原子力関連の学者が東京電力から多額の寄付を受けていた事が分かった。

わたしは、今回の大事故にもかかわらず確固たる根拠も無しに原発の安全性を叫ぶのは、このような利益社会の絆の中に立たざるを得ない人間であるような気がする。

先日亡くなった吉本隆明から学ぶべきものは、一切の絆から離れて自分の思想をはっきり語る態度である。

共同社会の絆はもちろん利益社会のきずなも大切であろうが、しかしたとえ少数でも、一切の絆から離れて自分の意見をはっきり主張する人間がいない限り、日本が近代国家として立派に発展することは不可能であるとわたしは思う。

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