原発のない社会をめざして 国策の果て、反省足らぬ 中嶌哲演さん
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国策の果て、反省足らぬ 中嶌哲演さん

福井県小浜市にある真言宗のお寺の御住職で、長年にわたって反原発運動に取り組んでこられた中嶌哲演さんの意見です。「自分のことのように引きよせて、他者の痛みを知る。仏教が説くのはそのような倫理です」という言葉に…私は強く胸を打たれます。
以下は、朝日新聞より転載です。







【国策の果て、反省足らぬ 中嶌哲演さん】
朝日新聞 6月15日

学生時代、文学や芸術にばかり関心がありました。そんな私を友人が、反核を訴える平和行進に連れ出した。1963年のことです。そこで一人の被爆者と出会いました。戦地から戻り広島で被曝(ひばく)された方で、自身が詠んだ歌を教えてくれました。

死ぬる気で出征したる故郷(ふるさと)に/隠れ病む身となりてかへりぬ

放射能による病への差別や偏見をおそれて「隠れ病む」。その葛藤(かっとう)に魂まで揺さぶられ、平和運動にかかわり始めました。

国策として進められた戦争の果てに、広島・長崎への原爆投下がありました。そして昨年、国策とされた原発推進の果てに、福島の原発事故が起きました。私にはこの二つが重なって見えます。どちらも一朝一夕に起きたわけではありません。なぜそうなったかを振り返る歴史認識が必要です。

拙速な再稼働を許していくなら「第二の福島」を招いてしまう。そうなって初めて原子力村の人々も推進策を断念するのでしょう。国民の多くもまだ、脱原発へのはっきりした決意を持てずにいます。第二の福島が起きてから「一億総ざんげ」をする? それでは遅いのです。

安全神話は福島の事故によって崩壊したのではありません。原発が各地の寒村に押しつけられたとき、すでに崩壊していたのです。大都市の近くには造れない危険な施設と分かっていたのですから。原発を受け入れた自治体は麻薬のようなお金で、子孫に対する倫理観までマヒさせられた。その意味で、巨大な原発推進システムに土足で踏み込まれた被害者なんですよ。

かたや、関西広域連合の知事たちは一度、大飯原発で万一のことがあればそれぞれの府県にも被害が及ぶと、再稼働に反対しました。それなのに軽々しく「事実上の容認」と態度を変えてしまう。半世紀にわたる原発の歴史の総括を欠いているから主張が薄っぺらなのです。

大量の電力を消費している都市部には、原発が立つ地元の足を踏んづけている意識が欠落しています。自分のことのように引きよせて、他者の痛みを知る。仏教が説くのはそのような倫理です。他者を犠牲にしながら自分たちの幸せだけを追求してはいけないのです。

エネルギー政策から大量生産・大量消費というあり方まで総合的に、根本から反省し直す。そこから脱原発への「本物の議論」が始まるのだと思います。(聞き手・磯村健太郎)

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