原発のない社会をめざして 情報の隠蔽と捏造を繰り返してきた原発

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情報の隠蔽と捏造を繰り返してきた原発

「週間現代」4月23日号に掲載されていた記事です。







「原子力事故の歴史は、トラブル隠しの連続だったと言っても過言ではない」

最初に問題化したのは、76年のことだ。事の発端は、当時、雑誌にドキュメンタリーノベル『原子力戦争』(のちに講談社文庫に収録)を連載していた田原総一朗氏に、「関西電力美浜原発1号機をめぐり、73年3月に燃料棒溶融事故が起きたが、関電はこれを隠蔽し続けている」とする、差出人名不記載の内部告発書簡が寄せられたことにあった。

田原氏はこれをもとに「美浜一号炉燃料棒事故の疑惑」と題した記事を世に問うたが、関電は黙殺。結局、76年12月、国会でも疑惑が取り上げられる段になって、通産省(現・経産省)と原子力委員会が「関電が約4年間、事実を隠していた」と認めたのだった。
しかしそれでも、事故原因を「燃料棒溶融」ではなく「燃料棒折損」としたため、田原氏をはじめとする識者は「真実を明らかにしていないのではないか」と疑問の声を上げた。

その後も、原発による隠蔽が改まることはなかった。敦賀原発では81年、冷却水漏れ事故や放射性廃液の大量流出事故が発生したにもかかわらず、事故の報告をせず、発電を続けながら修理を行っていたことが発覚。また、北陸電力志賀原発は、99年6月に操作ミスから臨界が約15分間続いた事実を隠し続け、内部告発がきっかけで公表に踏み切ったのは8年後の07年3月15日だった。

さらに02年には、東京電力管内の福島第一原発・福島第二原発・柏崎刈羽原発で、80年代後半から90年代にかけて、自主点検記録に29件の改ざんがなされていたことが明らかになった。00年に内部告発が通産省に寄せられた当時、東電は「記録にない」などとしてなおも隠蔽しようとしたが、約2年の調査で全容が判明。
現職の社長以下、5人の社長経験者が引責辞任するに至った。

だが、それでも東電は〝膿〟を出し切ったわけではなかった。福島第一原発の3号機に発生していた大事故を、隠し通していたのだ。事故が起きたのは78年11月2日。原因は戻り弁の操作ミスで、制御棒が5本抜け、7時間半、臨界が続いた。これは日本で初めての臨界事故であり、「沸騰水型原子炉の構造上の弱点が露呈した」とも言われるが、東電は事故を隠蔽し、他の発電所に情報を与えなかった。そのため、後年になって前述の志賀原発事故をはじめとした類似の事故が続くという、いわば二次被害をもたらす結果となった。この78年の事故が公表されたのは29年後の07年3月22日。東電は「78年当時は報告義務がなかった」と強弁したが、何をか言わんや、だ。

隠蔽体質や事なかれ主義は、組織におけるモラル崩壊の引き金となる。悪しき伝統から脱却できるのか否か、日本の原発は正念場に立たされている。」

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